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兄は祖父母に異常に甘やかされ大事にされたので自立心がない。 年寄りというものは自分のそばに孫をおきたがるので、友達と遊びに出かけたりするのも ずいぶん制限されていたようだ。兄への見合い話を祖母が何度も断っているのは私も知って いる。その理由も「スキーをやるようなじゃじゃ馬な女はダメだ」とか、到底お断りする理由に ならないようなものだった。 心臓が弱って入退院を繰り返す祖母にも兄はよく付き添って、買物や銭湯に連れて行ったり して本当に実の親のようにいたわっていたし、事実兄にとっての「親」というのは祖母が母で 祖父が父だったのかも知れない。だから実際の両親に対しては、感謝や尊敬の気持ち、親子の愛情があまりわいてこないんだろうなと思った。 母や、それを懸命に介護する父に対して無関心なのもこんな背景があったのだろう。 祖父母の過ぎた介入で本来の親子関係が築き上げられなかったということに関しては、兄も 両親も被害者と言えるかも知れない。 それでも親というのは愚かというかありがたいと言うか、チューブでがんじがらめになっている 兄の耳元で父は 「早く元気になれよ。ばあちゃんも待ってるからな」 と、さめざめと涙を流すのである。それを見ながら横で私はムカムカしている。心の中では 「この馬鹿息子があああ。どんだけ迷惑かけたら気が済むんじゃあああっ!!!」 と、キレた父におしっこの管でもひっこ抜いて大暴れしてを欲しいぐらいなのだが、そんな 慶事が起こる予感もない。 入院した日、家に帰って母に兄の入院を告げた時、母は 「バチが…あたったんや」 と「シェー!」と驚くほどシビアなことを言ったが、その後は夢でも見るのか急に目を覚まして 兄の名前を呼んでおんおん泣くこともあった。それだけ親の愛というものは底抜けに深いの である。それでも結局、兄は最後まで家族に迷惑をかけ続けるのだ。 それも肉親にだけ迷惑がかかるならいい。私の夫も車で走り回ってくれたし、子どもにも これからますます不便をかけるだろう。肉親以外の人にも迷惑をかけることになるのだ。 だったらいっそ気前よく死んでくれた方が良かった。 一時は悲しみに包まれても長い目で見ればその方がずっと親孝行だろう。 まるで真冬の「シベリア寒気団」のように冷たい妹だと自覚しつつも、その思いは西高東低の 気圧配置と共に強くなるばかりだった。 入院したその日から、父の見舞いが始まった。昔、母が骨折で入院した時も父は 「わし以外、見舞いに行く人がおらんからな。可哀想や」 と日に何度も見舞いに行った。兄の場合も例外ではない。といっても新しい場所がすぐに 認知できないので「勝手に行きなさいよ」とも言えない。少なくとも利用するバスと病院の 名前がちゃんと頭に入るまでは、付き添いが必要だ。一週間、仕事を休んで、私は父の 付き添いをした。 見舞いに行く人間に付き添いがいるのだから、会社だったら人件費がかさんで仕方ない。 ただ病院通いが始まって一週間で私の体重が3キロ落ちた。神様は苦難の中にもちゃんと プレゼントを用意してくれているものだ。ビリーズブートキャンプでも落とせなかった私の 頑固な体重がするする落ちた。私はこれを 「ICUダイエット」 と名付けて本を出そうかとも思った。 元々、地理には強い父なので、場所もすぐに覚え、独りでも行けるようになったので、私も 仕事に戻り、一日おきぐらいに実家に行ったり、父と一緒に兄の病院へ行ったりの生活が 続いた。目に見えない疲れも貯まってきたのか、居眠りのためにバスで乗り過ごす回数が すごく増えた。ハッと目が覚めたら降りるはずのバス停を5つも6つも通り越している。 あわてて降りて反対側からまたバスに乗る。そこでまた寝てしまい、目を覚ますと降りるはず のバス停が後ろに遠ざかっていく。道を歩いていても考え事ばかりしているので、車にひかれ そうになる。兄ですら渡らなかった三途の川を私が自由形でスイスイ渡っては悔しすぎる。 兄の容体はかなり落ち着いた。ただ心臓がかなり弱っているので医師からは 「助かったとしても普通の人のように仕事は出来ませんから、将来的にはお家で静養する 形になるでしょう」 と言われた。老衰待ちの母、認知症街道ばく進中の父、そこに家でごろごろするだけの兄が 加わる。 三重遭難。トリプル介護。 熱のど鼻に効くトリプル効果なら大歓迎だが「トリプル介護」というのは副作用が大きすぎる。 出来れば服用したくない。 それでも周りを見渡せば、もう残っているのは私と姉しかいない。 「倒れたもん勝ちか?」 そう思った。ここで私が倒れたら、とりあえず今の現状からは逃げ出せる。気持ちもラクになるだろう。でもそれも一時のことである。本当に倒れっぱなしになったら今度は自分の家族に 迷惑がかかる。こっそり葬儀の見積もりを出される立場になるのも悲しい。やはりこの場所 から逃げることは出来ない。 だったらもう、自分から飛び込んでいくしかない。火中の栗を拾うなどという可愛いものでは ない。 めらめらと炎上しているタンカーに飛び込んで、蟻を三匹生きたまま捕獲してこい と命令されるようなものである。凄惨すぎて逆に可笑しい。 だけど苦労だ、悲劇だ、不幸だと抱え込んで落ち込むのはもったいない。神様が何かを私に 試そうとしてるなら、少し腰は引けているが「バッチコイ」と思った。元々どんな辛いこともネタ にして笑いに変えてしまうという、金にもならない才能がある。だから私も今の状況をユーモア に変えたかった。 大変ですね。 悪い事というのは続くものですからね。 ご苦労されてるんですね。 そんな演歌的な取り扱いをされるのはいやだった。「ユーモア」という言葉には 「~にも関わらず笑う」 という意味もあるらしい。 「そんなに笑っちゃってていいんですか」 「ここ。笑うとこじゃないですよ」 と周りが心配するぐらい私はユーモアで闇を切り刻んで進みたかった。自分の死に際にも 何かドカンと一発笑わせてから逝きたいと企んでいるぐらいなのである。生きてる間の苦労 ぐらいユーモアに変えられないようでは、末期の水を鼻から出してベッドサイドのギャラリー から笑いを取ることなど不可能なのである。 ICUに入って5日目頃、兄の意識がクリアーになってきた。 言葉は出ないが、こちらの言うことに頷いたり首を横に振ったりする。父は 「よう分かってる。もう大丈夫やな」 と、またさめざめと涙を流す。そろそろ葬儀の見積もりを出さないと、と鼻歌交じりで夜中まで ネットで業者を探していた私の努力が水の泡になった。 「現代医学の馬鹿野郎~」と白い巨塔に向かって医学界を呪いたかった。 一週間後、兄は一般病棟に移った。といっても観察室という、ナースセンターのすぐ隣にある HCUという部屋であるが、しばらくすると流動食も出され、あげくにおやつまでほしがるように なった。 大の大人なら「ああ。ビールが飲みたい」だの「たばこが吸いたい」だの、年相応の要求が あってしかるべきなのだが、兄はただ「お菓子とジュース」を連呼する。まるでしつけの出来て ない幼児のようだ。 買い出しに行くのも邪魔臭いし、ほいほいとおやつを与えるのも何だか悔しかったので一応 主治医に 「先生。お菓子を欲しがるんですけどあんまり食べない方が良いですよね」 と確認すると 「いや、今は何を食べても良いですよ」 という答えが返ってきたので聞くんじゃなかったと後悔した。 ただ今回の兄の件で、いいこともあった。それは父と兄が非常に仲良くしゃべるようになった ことだ。今までほとんど口も聞かなかったのが嘘のように、天気の話をしたり、お菓子を分け 合ったり楽しそうに過ごしている。私はそれを遠目に見て(何を今更)とムカムカするのだが それでも父と兄が仲むつまじくしている姿は良いものだと思った。家に帰れば母の介護も 待っているのだが、あまりおしゃべりの出来ない母よりも、意外とおしゃべりだった息子と とりとめもない話をするのは、父のストレス解消になっているのかも知れないなと感じていた。 それでも真冬である。兄は入院しているのだから、暑さ寒さや食べ物の心配も不要だ。だから父にも 「毎日行かなくてもいいんちゃうの。しんどいやろ。風邪引いたら困るで」 と言ってみるのだが、父は 「ほかに誰も行ってやる人がいないから可哀想だ」 と見舞いをやめない。 父は本当に「愛の人」だなと思う。 家族に対しても、孫に対しても、私の夫に対しても、誰彼と区別することなくみんな大事にして くれる。昔「宝くじが当たったら何買う?」と私が聞いたら「仏壇をきれいなのに買い換える」と 言ったことがある。養子で入った父だからかなり苦労をしたはずなのに血のつながらない義理 の親が入っている仏壇を買い換える、と言ったことに私は驚いた物だった。そんな父だから 実の息子の見舞いなど「行って当たり前」と思っているのだろう。それでも雨の日や気温の 下がる日はやめて欲しかった。ひざも痛いとこぼすことが多くなった。 これに風邪でも引いたらトリプル介護がカルテット介護になってしまう。 これをユーモアに替えるにはさらなる努力が必要である。 私にこれ以上よけいなプレッシャーを与えて欲しくはなかった。
by chiroru-pu
| 2008-04-11 16:20
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